遊びのようにやる

中学生のころだったと思う。もう少しで、漢文というのをやるらしい、というのを先輩から聞いた。その漢文というのは、結構うっとうしいものらしい、ということもあわせて聞いた。うっとうしくても、それはやらないと困るらしい、ということも。
漢文が何のことなのか分からないので、困ったなーと思って、まわりの大人にいろいろ聞いて、本屋さんに行って本棚を眺めた。東梅田の旭屋書店。いまでも憶えてるわ。それで大人向けの「論語入門」を買って帰って、読むことにした。うちに帰って、お母さんに「学校で勉強になって嫌いになる前に、好きになっとこうと思って」という話をしたのも憶えてる。
論語入門は、ちょっと難しかったけど、おもしろかったー。友だちに、わかった顔で「巧言令色少く仁」とか「学びて思わざれば即ち暗く、思いて学ばざれば即ち危うし」とか言ったりね。中学生ぐらいになれば、中学生なりに理解して楽しめるもんでした。それが遊びならば。
もちろん授業で漢文がはじまっても怖くないしすでに得意になってるし、大学受験の明治期文語文もへっちゃらでいけたし、今でも多少の読み下し文は苦労しない。今振り返って思えば、好きなように遊びのようにやればこそだなあ、と思う。
この話のポイントは、なにごとも遊びのようにやる、ってこと。興味を持てる方法を探そうシリーズやね。学校の勉強にフルパワー使わずに、自分が遊びのようにやる方法を探すのにパワーを使おう。それが、デキる子がさらにデキる子になってどんどん差が開いていく、秘密やねえ。