なんで自分は勉強ができるんやろう、って考えたことあるかな?
これについては、いろんな人がいろんなことを言ってくれるので、自分の考えを見つけてほしい。
ある人は遺伝という。ある人は家庭環境という。先生との巡り合わせの幸運について言う人もいると思う。それは必ずしもあなたの努力ではないのだから、感謝の気持ちを忘れてはいけないというアドバイスをくれる人もいるだろう。どの意見も正しいし、きちんと耳を傾けてほしい。
でも今回はちょっと別のアイディアを書いておきたい。
お父さんの基本的なアイディアは単純で、勉強ができる人はそれを究めてみればいい、それだけのことだと思うのだ。サッカーが得意な人はサッカーを究めてみればいいし、野球が得意なら野球を、マンガならマンガを、アニメならアニメを、料理なら料理を、将棋なら将棋を究めてみればいい。
いろいろな分野で一流と言われている人を観察してお父さんなりにわかったことは、どの道であれ、究めた人が到達する地点は驚くほど似ているということ。自分の意志でその道を選んだ人も、いろいろな事情でその道を選ばなければなかった人でも、入り口はどちらでもあまり関係はないようだ。そして、どんな人でも、どこかのタイミングで、本当に自分はこれをやるべきなんだろうかと悩んでいる。
向いていることに、人生の早めに出会えた人は多少ラッキーだ。逆に、ピアノに向いているのにピアノのない国に産まれてしまったりとか、向いていることが実はあるのに巡り合わせの悪い人もいる。勉強ができるというのは、運が良いことだ。ただし、ピアノのない国に生まれなくて済んだ、ぐらいの幸運だと思う。でもせっかくのラッキーなので、幸運を活かして、勉強ができる人生を、いけるところまで行ってほしいと思う。
いずれにせよ壁にぶち当たる。人生、壁にぶち当たったときだけがじつはチャンスで、自分はどういう人間なのか、なんのために生まれてきたのか、今回の人生で何をすれば良いのかがわかるのだから。
デキる子であることは幸いである。早く自分の道を歩き始めてみることができるから。どこに自分の道あるのかを発見するためにも、この「デキる子の勉強法」を読んで、他人の人生ではなく、自分の人生を発見してもらいたいと願う。