記憶力をつかわない

勉強ができる、仕事ができる、あるいは所謂良い学校にいくということは、それは「記憶力が良い」とか「物覚えが良い」ことと間違えられやすくて、それが勘違いであることを説明するのはいまだになかなか難しい。
物覚えが良くてほめられるのはサルかイヌかアシカであって、それを知性というのは違うんじゃないかと思うのだけれども。
記憶力で勝負しようと思っても、今の時代、パソコンに勝てるものではない。インターネットにつないで、ポテポテポテとキーボードを打てば、世界中の辞書、辞典、その他の記録されたあらゆるものから結果を拾い出してくれる時代なのだ。なんぼ記憶力の良い人であっても、世界中のあらゆる辞書と勝負して勝てるわけがない。よね?

そんな訳でお父さんの人生の前半は、記憶力をどれだけつかわずに済ませるかということに、尽きたのではなかったかと思う。物理も数学も公式を覚えなかったし、年号や人名を覚えるらしい歴史は全て避けて通ったし、英語も単語を覚えずにどうやってやるかということばかり考えてきた。記憶力をつかわずに済ませるノウハウ蓄積の前半生であったのだよ。
あまりに記憶しないので冷たい目でも見られつつ、それでも東京大学脳科学の先生が「九九を覚えなかった」という話を聞き、さすがに九九は憶えたので、負けたなあと思ったなあ。
もうちょっと、どうやって記憶力をつかわなかったのか、その具体的方法とヒントを書いておこうと思う。

なんで自分は勉強ができるんやろう、って考えたことあるかな?
これについては、いろんな人がいろんなことを言ってくれるので、自分の考えを見つけてほしい。
ある人は遺伝という。ある人は家庭環境という。先生との巡り合わせの幸運について言う人もいると思う。それは必ずしもあなたの努力ではないのだから、感謝の気持ちを忘れてはいけないというアドバイスをくれる人もいるだろう。どの意見も正しいし、きちんと耳を傾けてほしい。
でも今回はちょっと別のアイディアを書いておきたい。
お父さんの基本的なアイディアは単純で、勉強ができる人はそれを究めてみればいい、それだけのことだと思うのだ。サッカーが得意な人はサッカーを究めてみればいいし、野球が得意なら野球を、マンガならマンガを、アニメならアニメを、料理なら料理を、将棋なら将棋を究めてみればいい。
いろいろな分野で一流と言われている人を観察してお父さんなりにわかったことは、どの道であれ、究めた人が到達する地点は驚くほど似ているということ。自分の意志でその道を選んだ人も、いろいろな事情でその道を選ばなければなかった人でも、入り口はどちらでもあまり関係はないようだ。そして、どんな人でも、どこかのタイミングで、本当に自分はこれをやるべきなんだろうかと悩んでいる。
向いていることに、人生の早めに出会えた人は多少ラッキーだ。逆に、ピアノに向いているのにピアノのない国に産まれてしまったりとか、向いていることが実はあるのに巡り合わせの悪い人もいる。勉強ができるというのは、運が良いことだ。ただし、ピアノのない国に生まれなくて済んだ、ぐらいの幸運だと思う。でもせっかくのラッキーなので、幸運を活かして、勉強ができる人生を、いけるところまで行ってほしいと思う。
いずれにせよ壁にぶち当たる。人生、壁にぶち当たったときだけがじつはチャンスで、自分はどういう人間なのか、なんのために生まれてきたのか、今回の人生で何をすれば良いのかがわかるのだから。
デキる子であることは幸いである。早く自分の道を歩き始めてみることができるから。どこに自分の道あるのかを発見するためにも、この「デキる子の勉強法」を読んで、他人の人生ではなく、自分の人生を発見してもらいたいと願う。

めんどうがらずにシェアする

高校生に至っても、定期テスト前の勉強は楽をさせてもらった。さすがにやってたんだけど、徹夜してやりましたとか、そういう凄惨なやりかたはしてなかったということ。だいたいテスト前は部活が休みになるので、喜んで自主練して、疲れた頃にテニスコートの脇に転がってる古い机で勉強する的な感じ。
そんなゆるっとしたやりかたでもそこそこやっておれたのは、みんなが質問しにきてくれたから、かな。特に数学。これにはちょっとだけコツがあって。授業で何回か模範的な解き方の講義があって、そのときには黒板写すだけで意味はほとんどわからない。その後に何回か演習の時間があって、当てられた問題を生徒が黒板に書き、先生が良いの悪いのと添削してくれる。コツというのは、とにかく問題を解くことに集中するということ。
早め早めに問題を解いておくと、演習の時間に、まだ解いていない友だちがノートをこそっと借りにくる。出し惜しみせずにノートを渡すと、自分の解き方を先生が良いの悪いの言ってくれる。友だちのほうも、できませんと言わずに済むからありがたがられる。
さらに良いのは、定期テストが近づいてくると、今度は周りがノートをコピーさせてくれと言ってくる。ハチャメチャに適当に解いた形跡ばかりのノートだけど、それでもヒントがあるほうが助かるようで、次々にコピーしにくる。こうやってコピーを渡していると、もっとテストが近づいてくると、今度は分からないところを直接聞きにきてくれる。その質問を、分かったふりして答えたり、一緒に考えていると、ちょうどテストのための勉強になるわけやねえ。
分からなくて聞きにくるぐらいの問題が、ちょうど試験に出るというわけ。これが自動的試験対策の術。しかもたいてい女の子がやってきてたので、おしゃべりしているうちに勉強が終わるの術。
半歩早くやっておいて、めんどうがらずにシェアする。いちばん得するのは、あげたほうなんだな。

読書録をつける

高校2年生のとき、映画館で映画をみるのがマイブームで、一年間に52本、映画館で観た。これは結局、映画館で一年間に観た映画の本数としては今までの人生の最高記録。当時は梅田に大毎地下劇場というところがあって、会員になると定期的に無料チケットが送られてきて、お金を払うときでも2本で500円だか800円だったので、格安で観れた次第。お小遣い制ではなかったので、親が映画については出してくれてたし。
唯一勿体ないなあと思うのは、何を観たのか記録がないこと。グラン・ブルー、グッド・モーニング・ベトナム、わが心のボルチモア、今を生きる、羊たちの沈黙、とか強烈なインパクト(良かれ悪しかれ)が残ったものは憶えてるんだけど、52本はどうしたって思い出せない。
数を数えたので、当時なにかしらリストを作ったと思うんだけど、それが残ってないんだなあ。
大人になってからは、映画と、本と、ゲームと、何を観たのかやったのかを記録している。何を買ったのかも記録してたけど、イマイチなのでやめた。記録してみて発見することが、たくさんたくさん、ある。本でいえば一年間に何冊読んだのか。それは年ごとにどれくらい増えたり減ったりするのか。読もうと思った本の傾向はどのように変化して、良いと思った、良いと思わなかったという傾向がどのように変わったのか。自分を知るための手がかりが、そこにはいっぱいある。映画でもゲームでも同じく。
今の時代にやるなら、ブログを使うといいと思う。理由は単純で、なくさないから。ノートに書いてもいつかなくす。パソコンのエクセルやワードで書いてもいつかなくす。ブログに書いておけば、なくならないようにサービサーがしてくれる。検索も簡単。自動的に時系列になる。他の人はあまり言わないけど、ブログがいちばん役に立つのは、読書録作成だと、お父さんはほんとは思ってる。
感想は、書いても書かなくても良い。気が向いたときだけ書くぐらいでいいと思う。タイトルと、著者、映画なら監督と俳優の気にいったほうをメモしておくのでじゅうぶんだと思う。自分自身を発見する手がかりなのだから。
読書録(映画録、ゲーム録)をメモしておこう。

夢をみる

高校受験は、ほんとうに憎たらしいことに余裕綽々だったので、たぶん本ばかり読んでいた。たぶん。そのときに出会って、衝撃的だった本がそれからの人生に大きく影響した。エントロピーについて考えはじめたのもその頃だし、サブリミナル効果についても読んでいた。マーフィの法則も役に立った。そんななかでも特大の衝撃は、湯川秀樹の自叙伝「旅人」。
湯川秀樹ノーベル賞受賞の研究に至るまで、どんなことを考えて、どんなことをしたのか。詳しいことはさっぱり憶えていないが、暗闇と光明。世界の最先端にただ、ひとりで立つ興奮と孤独と怖れ。
これを読んで、中学生の終わりに、長岡半太郎の阪大か、湯川秀樹の京大にいければいいなあと思いはじめるようになった。
もちろんその時点で、自分か京大や阪大にいけるのかどうか分からなかったし、分かる方法もなかったし、まわりの大人にもいなかったから、夢物語なのか手に届くことなのかも皆目検討がつかなかった。
それでいいのだ。
こうなればいいなと思ったし、高校に入ったら初日から「志望校は阪大か京大」って言ってた。まわりは、おかしいんじゃないかと思っていたと思う。普通は、自分の実力を知って、その後に志望校を決めるものだからだ。
でも、大人になればようやくわかる。できるかできないかは脇において、どうしたいのかを決めること。どうしたいのかを言葉にして口にすること。これが、ものごとをうまく進める秘訣なんだ。もちろん、お父さんが希望を口にし始めてから、奇跡がつぎつぎに起こり、扉は向こうから開いていった。お父さんが、開けたのではない。
自分の胸に手を当てて、夢をみよう。そして口にしよう。

人がやらないときにやる

勉強をするのにいちばん良いタイミングはいつだろうか?
ひとつのヒントは、他の人がやるときにはやらず、他の人がやらない時にやるということ。
今まででいちばん時間を使って良かったなあと思ったのは、大学受験に落ちてすぐの3月。「大学への数学」を興味におもむくままに遊ぶようにやっていた。遊びでやってるから頭にスルスル入って、予備校にいった4月にはすでにハイクラスのトップグループに入っていたので、そのままスルスルと一年間を過ごした次第。
落ちてすぐの3月は一般的には緩める時期なんだな。4月からガリガリやるから、今は休憩しておこう的な。でもあえてそこでやっておけば、あとは手なりでいける。宇宙ロケットも、大気圏を出るのが大変なのであって、宇宙に出てしまえばそんなに力を使わなくても進める。他の人が緩めてるときに、さっさと宇宙に出てしまえば楽だということ。
逆に、定期テスト前の勉強はしなかった。みんながやってるときには、さっさと寝る。多くの人は、やるべき時にやらず、やるべきでない時に限ってやる。そんなことが多い。
他の人の様子をヒントにして、いつやるべきなのか、やるべきでないのか、自分の好みにあうやりかたを探そう。

遊びのようにやる

中学生のころだったと思う。もう少しで、漢文というのをやるらしい、というのを先輩から聞いた。その漢文というのは、結構うっとうしいものらしい、ということもあわせて聞いた。うっとうしくても、それはやらないと困るらしい、ということも。
漢文が何のことなのか分からないので、困ったなーと思って、まわりの大人にいろいろ聞いて、本屋さんに行って本棚を眺めた。東梅田の旭屋書店。いまでも憶えてるわ。それで大人向けの「論語入門」を買って帰って、読むことにした。うちに帰って、お母さんに「学校で勉強になって嫌いになる前に、好きになっとこうと思って」という話をしたのも憶えてる。
論語入門は、ちょっと難しかったけど、おもしろかったー。友だちに、わかった顔で「巧言令色少く仁」とか「学びて思わざれば即ち暗く、思いて学ばざれば即ち危うし」とか言ったりね。中学生ぐらいになれば、中学生なりに理解して楽しめるもんでした。それが遊びならば。
もちろん授業で漢文がはじまっても怖くないしすでに得意になってるし、大学受験の明治期文語文もへっちゃらでいけたし、今でも多少の読み下し文は苦労しない。今振り返って思えば、好きなように遊びのようにやればこそだなあ、と思う。
この話のポイントは、なにごとも遊びのようにやる、ってこと。興味を持てる方法を探そうシリーズやね。学校の勉強にフルパワー使わずに、自分が遊びのようにやる方法を探すのにパワーを使おう。それが、デキる子がさらにデキる子になってどんどん差が開いていく、秘密やねえ。